効率的な勉強法2
前回は、基本となる教科書をまずマスターすることについて述べた。今回は、科目別、個人別の方法論について、記載したい。
言うまでもないことであるが、英語については、五感全体で修得する方法がベターなのであろう。昭和の世代の私は、ヒアリングやスピーキングの訓練がほとんど記憶に無い。もし、今、改めて学校英語を学ぼうとするならば、次のようにするだろう。
学校から貰った教科書を何回も読む。また、最近は、英語教科書のCDがあるみたいだから、BGM代わりに何度も聴く。最終的には、その教科書を丸暗記するだろう。下手に単語帳なぞに手を出さずに、文章ごと覚えてしまった方が、使い方や場面も覚えられるので、回り道ではあるが、結局は近道のような気がする。
また、学習意欲を継続させるため、自分の趣味や興味とのマッチングを模索する。例えば、私の知り合いには、中国語学習のために、中国の唄を趣味のカラオケで練習していた人がいたし、中国人の異性と付き合ったりした人が居た(自分の目的のためなら、何をやっても良いわけではありません。念のため。)。最近は、日本の漫画もワールドワイドになってきたので、外国語に翻訳されていることもある(但し、文語体や標準語ではなく、口語体・方言の場合が多いかもしれないが)。
最終的には、実際に英語によるコミュニケーションを実践することが重要であろう。今は、インターネットがあるから、eメール友達を作ったり、無料のテレビ電話もある。
これらを駆使して、自分なりの勉強法を構築することが出来れば、かなり楽なのでは無いだろうか?
また、例えば、民法や会社法などの「法律」関係の科目であれば、別の勉強法となるであろう。法律関係の科目は、まず大「原則」があり、そこから派生して「原則」や「例外」が枝葉のように、いや、毛細血管のように広がっていくパターンが多いと思う。最初にその法律が制定された目的があり、その目的を達成するためにいくつかの手段が規定され、さらにそれを達成するための手段が延々と続いていく・・。従って、ツリー図や系統図の作成、論理的な勉強法(なぜなぜ思考や勉強仲間とのディベートなど)などが有効と考える。
いずれにせよ、実際の勉強も大事ではあるが、ある程度、その科目の特性とか、自分の個性とか分かってきた段階で、一度、「学習法」に関する情報を集めて、模索してみるのが、良いとは思う。
それにつけても、今の若い人達は、インターネットがあっていいなぁ。
効率的な勉強法1
学生は勿論のこと、社会人になってもず〜と勉強し続けなければならない。
であるならば、いち早く自分なりの勉強法を修得することは、この世を上手く生きていくことへのキーとなる。
以下記載する内容は、あくまで私の(理想の)場合、である。
基本となる教科書を決めたら、10回読むべし。
最初は速読、2回目は通読、3回目は精読、4回目は「考読」、など。分からない所は、基本書にドンドン書き込み、逐次消化していく。
まずは基本書を完全に理解することに全力を尽くすべし。色々な参考書や問題集に手を出しても、何となく勉強出来てる気がするだけで、むしろ遠回りになる。
1冊の基本書を概ねマスター出来たら、その基本書を補完するために、他の教科書や問題集を部分的に参照するのは有り。
腹立つ時に
私は生来の小心者で気が弱い。神経質で、過ぎたことをいつまでもくよくよ悩む。悩むのが趣味ですか?っと、もう一人の自分が問う感じ。仕事や家庭で腹立つことがあると、しばらくはそのことが頭から離れず、心安らかにはおれない。いや、おれなかった。
それが五十歳近くになると、三日もしたらなんとも無くなってしまう。
一週間で「何に対して怒っていたのか」自体を忘れてしまう。
老人になって良いことは、少々のことでは驚かなくなること、とはある有名なアニメのセリフであったが、歳とって直ぐに忘れてしまうことも、まあ、悪いことばかりでもないように思える。
腹が立ってしょうがない時には、愛する人の手でも握っていれば、直ぐに収まる、とはある漫画のセリフであったが、最近、私は気が付いた。
どうしても腹が立ってしょうがない時には、愛する我が子の幼き頃の写メを眺めていれば、ちょっとだけ収まるなぁ、と。
漫画家もいいなぁ
私は、もういい歳だが、マンガやアニメが好きだ。
所謂、ゲーセンも最近こそ、余り行かないが、インベーダーゲームの前の、ブロック崩しからやっていた。アーケードが懐かしい。
何十年もやっていると、マンガもゲームもだんだんパターンが見えてくる。
しかし、時々、綺羅星のように、凄い才能が世に現れる。
最近のマンガでいえば、「進撃の巨人」がそうだ。見たことがない世界観と巨人への変身、独特のマシン、心理描写が凄い。
他に注目しているマンガには、「三月のライオン」「ヒストリエ」などがあるが、好きなマンガはなぜか、なかなか新刊が出ない(「三月のライオン」はもうすぐ出ます。「ヒストリエ」は出たばかり。)。
しかし、そんななか一際嬉しいニュースが流れてきた。
「孤独のグルメ」の第2巻がいよいよ発売されるとのこと!
第1巻を読んだのも一年前くらいだったけど…十数年振りの新刊とのこと。
もう一つは、「ハイスコアガール」問題がなんとかなりそうな感じになってきたこと。
第5巻まで読んでいたけど、これから〜という所で終わってましたから。
今更、漫画家にはなれないが、原作者とか、応募してみようか・・・。
自己管理が一番問題
現代は、自己管理能力が問われる時代だと思います。
どこまで我慢出来るか、どこまで自分を律することが出来るか。
私はお酒が好きで、もう呑んだら駄目だと分かっていても、ついつい一杯、さらに一杯、と杯を重ねてしまう。
大昔だったら、夜になって酒屋が閉まり、呑み屋が営業終了したら、自動的に呑み終わることになりましょうが、今はあちこちに24時間営業のコンビニがあり、更に駄目押しの「一缶」を呑んでしまってます。便利で重宝する反面、弱い人間には悩ましい。
ちょっと前にガラケーからスマホへ変えましたが、結果的にはハマってしまいました。気がついたら朝3時だったとか・・・。パソコンに向かわなくも、寝床で横になりながら使えるし、ガラケーより魅惑的でもあります。
食べ物にしても、物にしても、サービスにしても、どんどん良くなっていくのは、基本的には好ましいことでしょうが、自分自身がしっかりしてないと、振り回される一方だなぁ、と思います。
勉強は、しないとダメ?
勉強はなぜ、しなければならないか?
誰もが一度は考えたことがあるとは思います。
なぜ、自分は勉強しなければならないのか?と。
このことを考える前には、
人はなぜ生まれてきたのか?
人はなぜ、生きていかなければ、ならないのか?
何が人生の幸福なのか?
などの疑問があると思いますが、それは次の機会にでも譲るとします。
50年近く生きてきて、若い頃は少なくとも普通の人以上に勉学にいそしんできた、という自負があります。
人はなぜ、勉強しなければならないか?
最終的に辿りついた私なりの結論は、
自分自身の「人生ゲーム」をより楽しむため
であります。
例え、環境が恵まれていたとしても、いつまでも親元で甘えていては、いつまでたっても、自分自身のリアルな人生を過ごしていることにはならない、と思います。
親元から、経済的、精神的に独立して、自分自身で100%リスクを負うとともに、自分自身好きなように生きていく、ことが大事だと思います。
当然に、経済的に自立するには、何か仕事をして、糧を得なければなりません。
また、自分自身で好きなことをするには、それについて学ぶ必要があります。
効率的、合理的に日常を過ごすには、自炊、買物、家計、掃除洗濯、などについても知る必要があります。
従って、所謂、「読み」「書き」「算盤」など、ある程度の基礎学力が必要だと思います。
中学レベルは分かるとして、高校レベルの勉強は必要か?という疑問が出て来ますが、個人的には、やや微妙です。
私自身、高校で習った、「微分」「積分」や「世界史」が、今までの人生で何か役に立ったか?と問われると、「・・・」という感じではありますから。
しかし、机上とは言え、難解な問題を解くことが出来る「思考力」を養うことは後々の人生に必要な事であります。
また、世の中は同じ事を繰り返す面があり、過去の人類の歴史を知ることは無為とは言えません。
実際に、「微分」「積分」を仕事で使う人は、世の中の人のごくごく一部ではありますが。
また、勉強も一つの「修行」の面があります。
自分が好きな科目・分野の勉強なら、いくらでも出来る、という人も居るかもしれませんが、実際にやってみると、なかなか精神力が要るものです。
大学二年生までは、やりたくもない科目を延々と勉強し続けなければなりませんが、一種の忍耐力強化、と考えてはどうでしょうか?
(どうしても嫌なら、高校卒業後、専門学校へ行くという選択肢もありますが、現状は大学卒を優先する社会の傾向は否定出来ないでしょう。)
なお、言わずもがな、これからの世の中では、外国語は必須だと思います。私は、英語を使えずともそれなりに生きて来れましたが、英語が出来ればもっと仕事が出来たと思いますし、なんと言っても、「英語版」の人生ゲームも楽しめたであろうから・・・。
あ〜、もっと英語を学べば良かったな〜。